

第1回 私の音楽史
の電話リクエストで育った次代であります
昭和29年(1954年)姫路工業大学付属高校へ入学後、当時近畿地区でも有名であった同校ハーモニカバンド
に入団、アルトハーモニカを手にするが、活動することはなく、昭和31年突如ブラスバンド部が開設され、ハーモ
ニカバンドは吸収されてしまった。
指導の先生より、すぐ音の出る(?)トロンボーンを与えられてしまったが、不思議に大変興味がわき、7ヵ月後
には市内各高校ブラスバンドで、合同であったが秋の国体兵庫大会で昭和天皇の御前にて、マーチ行進を行う。
姫路市公会堂での定期演奏会が最後であったが、ようやく音楽の楽しさが分かる頃になって、卒業となった。
昭和32年(1957年)幸い会社入社後、2ヵ月後クラリネットを購入。当時の映画グレンミラー物語・ベニーグッド
マン物語の影響があります。
多分、トロンボーンより小さい音で練習できると思っていたら、初めにに購入したクラリネットが、アルバート式で
あったため、大きな音がしてびっくりしました。しばらく自己練習をして後、現在のボエーム式を購入しました。>
昭和33年、友人の紹介もあり、姫路管弦楽団に入団(当時約40名)。
姫路カトリック教会内でロベルト・ブリーゲン神父の指導の下、教会音楽とシンフォニーなど一生懸命練習した
ものです。以降、定期演奏会等に出演、そのうち昭和36年、神父・友人達からジャズを余暇にやろうとの意見が
出、5人グループのスイングバンドが誕生、教会の行事などで演奏を行う。(バンド名:楽団スイングエース)
丁度、鈴木章治とリズムエースの全盛時代で、物まねでありました。
このあたりから私のジャズに対する意欲が盛り上がってきたように感じています。当時、労音でジョージルイス
のニューオリンズバンドがよく来演、それがきっかけで新しくドラムとトランペット、バンジョーが加わり、「ディキシー
ランドハウス」というディキシーバンドを立ち上げることが出来、クラシックと両道をかけ続けて行きました。
ただ、教会では夜遅くまでの練習に色々と困難がありましたので、以後練習を別の場所で行うことになりました。
そして昭和46年、姫路市吹奏楽団結成時入団、しかしながらジャズとの両道は無理となり、昭和47年第一回
定期演奏会出演の後退団、そしてジャズ1本に専念することとなったのです。
それからはフルバンドとのジョイントコンサート・ボーカルグループとの共演・電器店での録音会演奏・市行事
コンサート・盆踊りでの演奏・更正施設での演奏など、多岐にわたるようになって来ました。その間、入退者多数。
昭和52年秋、姫路ジャズメイツ会長人見恭一郎氏より新しいメンバー入団希望あり、12名メンバーにより新しく
バンドが発足しました。そして当時のラジオ関西音楽プロデューサー末廣光夫氏より「キャッスルジャズバンド」と
命名されました。
昭和53年(1978年)第3回BIG JAZZコンサート、翌年東京での第14回全日本ディキシーランドジャズフェス
ティバルでド派手なデビューとなったのです。新メンバーでのキャッスルジャズバンド発足当時ニューオリンズ
スタイルグループの多い中、消防5人組の陽気な楽しいサウンドに魅せられ、思い切ったスタイルのバンドとして
誕生したのです。
そして突然、昭和54年(1979年)会社転勤により北海道函館に行くことになりました。しかしながら運良く、月に
1〜2回、出張・会議などを利用し練習に参加、日常は譜面等遠方より送り続け、何とか継続していたのです。
函館では、又々新しいバンド「ジョイフルディキシーランドセブン」を結成、現在まで続いています。転勤期間は
7年間でした。
それからは昭和61年(1986年)四国・愛媛県新居浜市へ単身赴任が10年間続き、四国から毎週姫路へ帰還、
練習に備えました。平成8年(1986年)姫路へ帰属。3年間を経て定年退職となりました。その間メンバーにも
大変ご苦労をかけました。
キャッスルジャズバンド結成後の活動は詳細別紙記述の通りです。
平成14年(2002年)結成25周年記念コンサートを開催。これでやっと我が家に帰った気分になれたようです。
さて、キャッスルジャズバンドの演奏はディキシーランドジャズとも言われていますが、そもそもニューオリンズジャズ
とディキシーランドジャズと、両者は区別がないものです。あるとしたら黒人と白人の演奏の仕方の差、しかしこれは
もう昔の話で、それよりも両者のよさを元に如何にオリジナリティーを出すかというのがジャズのよさと感じます。個人
とそのグループで良いサウンドを作る。その瞬間・瞬間がジャズ!ディキシーとは、瞬間芸術なり。
>
ディキシーランドジャズに乾杯!(^_-)-☆
03/11/1 Written By りょうちゃん
第2回 ジャズの楽しみ方
ジャズのことをズージャと呼んだり、楽器の名前を反対言葉で言ったり、又お金のことを音階名で呼んだり、昔からこの
世界は、スラング(slang)とユーモアの乱れ飛ぶ特異な環境にも育てられました。
わずか100年余りのジャズの歴史ですが、スタイル・内容も大きく変化して参りました。中には今やこれがジャズか
と思えるものもあり、時代に取り残されそうになるのは長年ジャズに親しんできた私のみではないと思っております。
そして、やはりジャズの魅力は、楽しめるものでなければと思います。ジャズの源流である、ディキシーランドジャズは、
ジャズの発生した時のポリシーである強いアフタービートに裏打ちされた即興性、そしてプレーヤーの個性が強調された
非常に素朴なものなのです。その魅力が理解できれば、その素晴らしさが分かるのです。
少しジャズの歴史を交え、その世界へご案内致しましょう−。
ジャズとは、アフリカの方言で”興奮する”という意味で、JASS→JAZZになったとされています。
南北戦争が終わり、1863年奴隷解放(リンカーン)以降、黒人が自然発生的に作った音楽と言われております。
ヨーロッパの音楽と、黒人霊歌、労働歌等と、そしてアフリカのリズム、オフビートリズム(リズムの後打ち)との合体に
より発生したとの事です。軍楽隊払い下げの楽器も器用に扱える様になったのは、19世紀末頃と思われます。
リズムの2拍目、4拍目にアクセントがあり、メロディーをずらせ、ブルーノート効果(ミとシを半音下げる)により、メロディー
が少しづつ変わって奏される様になりましたが、当初はたかだか売春宿の待合室(サロン)で聴かれる程度であったよう
です。
1900年の少し前より黒人が、白人のクラシック音楽を真似、譜面でジャズを作曲した時期があり、これはラグ
タイムピアノ
と呼ばれています。ジャズが日本へ入ってきたのは1915年頃(大正4、5年頃)、横浜−サンフランシス
コスタイル、
神戸−サンフランシスコ航路により、結構早く入って来ております。
ジャズの創世期に演奏された代表曲を次にピックアップ致します。
・葬式の行進時の音楽 FREE AS A BIRD(鳥の様に自由に)スペイン民謡、別名追憶
・葬式が終わり、墓場から帰るときの音楽 WHEN THE SAINTS GO MARCHIN’ IN
・教会での音楽 WHAT A FRIEND WE HAVE IN JESUS
(別名賛美歌、尊きわが友、主の御許に、星の界)
・南北戦争をテーマにした曲 BATTLE HYME OF REPUBLIC(リパブリック賛歌)
・黒人らしさを強調したブルース ST. LOUIS BLUES(セントルイス・ブルース)
・白人が1917年初めてのレコード TIGER RAG(タイガーラグ)
ジャズは、クラシックと異なり、メロディーがオフビートリズムに乗り自在にアドリブを行う面白さがあり、何よりも心が
ゆれ、
身体がスイングする楽しさ、そしてプレイヤーの個性をも楽しんで下さい。これこそジャズの面白さといえるでしょう。
04/06/4 Written By りょうちゃん